第九話

ちょっと前、高耶さんが肩を揉んでくれたことがあった。パソコン疲れの俺を気遣って、「あんま無理すんなよ」と言いながら。
優しい彼に触れられるだけで何故か安心した。
お返しにと俺も肩に手を置くと、とても薄い肩に驚いた。背はすらっと高いのに、肩は頼りなく華奢だった。
揉むとくすぐったそうに髪を俺の手に擦りつけ、安心したように笑っていた。キラキラと宝石箱のような笑顔だった。
守ってあげなければならないと思った。




この前の一件以来、俺はモヤモヤとした気持ちを持て余している。
あの時は思わず抱きしめてしまったが、彼が帰ったあと深く反省し「自制」の二文字を体に刻みつけた。かわいい教え子が無邪気に慕ってくれているんだ、認めることはなんて絶対できない。




一人ソファーでふて寝していると、静かな部屋に携帯の着信音が鳴った。彼かと思って急いでディスプレイを見る。だが表示された名前に肩を落とした。

「…なんだ」
「あらやだ!随分元気ないじゃない。久しぶりね直江ー!」

元気すぎる声は従兄妹である門脇綾子だった。

「まぁま、飲みに行きましょ!飲んで忘れましょ!」
「いや俺は疲れてるし…」
「何言ってんの!花の金曜日よ?てことで一時間後に駅前集合ねー」

そう言ってプツリと切られた電話にため息が漏れる。まぁ気分転換にいいか。誰かと喋って少し頭を冷そう。





「で?どうしたのそんな顔して。何か悩み事?」
「あぁ、まぁな」
「仕事でポカやらかしたとか?よくあるよくある!」

そう言って陽気に笑うこいつは大分酔いが回っているようだ。

「そおいうんじゃない」
「じゃ生徒にでも手ぇ出したとか?」
「………」
「………ぇ」
「違う!まだ出していない!」
「まだ…」

目を瞠る彼女に気づかず、俺は度の強い酒を一気に飲み干した。

「俺はただ、彼が甘えられる存在になりたいだけなんだ」
「……」
「最初はただ純粋にそう…。俺はこの関係を壊したくない」

俺の勝手な想いで彼の安らげる場所を壊したくない。
ご飯を作りに来てくれる彼を失いたくない。

「そんなに大事なら、中途半端に終わらせちゃ駄目よ」

グラスを握った綾子が真面目な顔で言った。

「あんたは変に器用だから心配よ。今を壊したくない位大事なら、ちゃんとケジメつけなさいよね」

ケジメ…ケジメってなんだ。
俺はどうしたってこの気持ちに正当な理屈をつけられない。

ただ彼が欲しいというだけでは、倫理も法律も壁にはならないのだろうか。
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